こんにちは!
株式会社セイフティプランナー九州です。
今回も松本がお送りします 🙂
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その後、呉の国でも後継者問題が顕在化し、公子光の非凡さを王が疎み、光を抹殺しようと動き出す。
そのため伍子胥は、光を助けるために王の暗殺を謀ることになる。
さらに呉の国は、公子であった光が王の暗殺に成功して王位を継ぎ、伍子胥などの賢臣を重要な地位に置く。そして伍子胥の献言により、他国で埋もれていた孫武(後に孫子の兵法を著した有名な兵法家)を大将軍に迎えて、伍子胥の仇敵であり大国である楚に立ち向かっていくのである。
やはりどの時代も、民の幸せを考えずに、自らの権力にしがみつこうとする権力者の横暴が社会を狂わせ、最後には権力の崩壊へとつながるのが常である。
このような愚かな歴史を止めるために、民主主義の体制が作られて久しいが、権力者はその中でも
何とか自分の権力構造が永遠に続く様に、持てる権利の範囲内で悪知恵を働かせている。
それは国家だけでなく、小単位のあらゆる組織にも通じる悪弊といえるのではないだろうか。
楚に対抗していくあたりで、今まで誰も気付かなかった兵法を具体化し「戦えば必ず勝つ」という仕組みを作り上げていく孫武の活躍は、読んでいて胸のすく内容である。
それにしても、世界に名を残した「孫子の兵法」の孫武も、伍子胥に見出されなければ埋もれたままで終わったのかも知れないと思うと、歴史の不思議さを思わずにいられない。
その一方で、当の孫武は例え誰かに見出されなくとも、沢山の弟子を抱えて農耕し、わが道を歩きながら「孫子の兵法」を世に問うたのではないだろうか、とも思う。不思議にも、同時代に生きて権力者から庶民へと思考の軸を移していった思想家である「孔子」もそんな人間だったのだろう。
権力におもねらず、強者に媚びない生き方は並みの人間に真似は出来ない。
孫武が「志」を持ち、「志」に生きたからこそ出来たのだ。
つまり、孫武が偉大な人と言うわけではなく、孫武の「志」が彼自身を偉大にしたのではないだろうか。
そう考えると「志」こそが、人をして人を偉大ならしめる根源の力なのだと確信するのである。
それでは、歴史に残る人の「志」とは何なのか?
それは、自分自身の生活のみに汲々として生きることではなく、人々を「戦乱の時代から人間が平和
に暮らす世界」へと導くために、ただひたすらに脇目もふらず自らのもてる能力を注ぎ込もうとする熱誠に他ならないのである。
では続きはまた。