こんにちは!
株式会社セイフティプランナー九州です 🙂
湖底の城の続巻が発売されてないので、久しぶりに堂門冬二の歴史小説「毛利元就」を読みました。
今回はそれの感想文です。
堂門冬二といえば過去に「上杉鷹山」を読みました。
ケネディ大統領が世界で一番尊敬する政治家に上げたのが上杉鷹山でしたが、私のこれまでの読書の
中で最も感動したのも、この上杉鷹山です。
しかし今回は、戦国期の中でもあまり焦点が当たらない毛利元就を読むことにしました。
毛利元就もまた素晴らしい人です。
元就は、5歳で母を亡くし、10歳で父を亡くし、11歳で兄を京都の朝廷に出向させられ、天涯孤独の身になったのですが、その後毛利家の当主であった父の側室に育てられました。さらに家臣に城を乗っ取られ、その隅っこの小さな家に父の側室と住まわされて成長していきます。
徳川家康が幼いころから人質として今川家に送られて誰よりも苦労したように、元就もまた苦労の
人だったのです。やはり人一倍苦労した人が人一倍出世するものなのだと思われますが、苦労した人
全てがそうなるわけではないところに歴史の妙味があるようです。
さて、元就自身は苦しい生い立ちの中にありながらも、いつか必ず城を取り戻すことを目標に、かの
「孫子の兵法」を座右の書として自分を磨いていきます。
そして20歳のとき、勝つはずがないと言われた戦で初陣し、敵を圧倒して破り頭角を現しました。
彼は見事に「孫子の兵法」を生かしたのです。
そして72歳で没するまで、沢山の戦をしてきた元就は、戦の前にあらゆる情報を集め「事前に敵を知る」事に集中し、少ない人数で何倍もの敵を破るという奇跡を何度も起こしたのでした。
武略、調略、計略を駆使し、時には人としての道に外れることに手を染めながら、地盤も兵力も資金もない弱小勢力だった毛利家を残した毛利元就。
勝つために手段を選ばない生き方は、戦国時代だけでなく、形を変えて現代社会にも通じるものがあります。
さらに元就は、中国の太公望が作ったとされる兵法書の「六韜」(りくとう)も熟読し、敵をかく乱し疑心暗鬼を抱かせて内部分裂を誘うやり方もよく使ったようです。
見方によっては汚いやり方ですが、人のむごさや愚かさを身にしみて味わった元就の幼年期の体験があったからこそ、その謀略が最大の効果を発揮したのではないでしょうか。
【天の時】【地の利】【人の和】いずれも持たなかった元就が中国の覇者になれたのは、苦労を知恵に換えて生き抜くしたたかさを身に付けたためだと思うのです。
また、彼の人格形成には、苦難を共に生き抜いた父の側室だった大方様の影響が大きかったようにも感じます。
彼女は若く、いくらでも嫁ぎ先はあったのだが、元就を育てる事に生涯を掛け、元就自身も大方様が亡くなるまで孝行を欠かさなかったとの事。
そして、行き詰ったときには必ず大方様から数々の助言をもらって打開の糧にしていたそうです。
誰しも本当に困ったとき、行き詰ったときには、誰かの助言を必要とすることがあります。
自分の心の声だけでは乗り越えられないことは沢山ありますが、そんなときに最良の道を示してくれるのは、師匠とも言うべき存在なのです。
師匠を心に持つ人は強い!
師匠を心に持っていない人はもろい!
歴史上偉人といわれる人で、師匠を持たない人は殆んどいないといっても過言ではありません。
師匠を持つことによって、自分のいびつな心が修正され、丸く、大きくなっていくのです。
そんな事を考えながら、毛利元就を読了しました。
歴史に「もし」はないけれど、彼の生まれた年が少しでも違っていたら、日本を統一していたかもしれない。
そしてその可能性は、今でも誰にでもあるのかも知れない。
ただ気付いていないか、努力を怠っているかの違いなのではないでしょうか。
松本